幸せってなんだろう
「幸せ」ってなんなのか?それは、「なんで生きるのか」に次ぐ命題です。
「幸せ」に、定義はあるのでしょうか?
ありませんよね。だって「心」で感じるものだから。
「◯◯したら幸せ」なんていう定義は成立しないのです。
日本人の子供の幸せと、モンゴルの遊牧民の子供の幸せと、アフリカ難民の子供の幸せはまったく違うものですよね。
(例えが雑ですみません、、)
究極、生まれてきたからには衣食住に困らなければそれで幸せであるはずなんです。
じゃあみんなの「幸せ」はどこから生まれるのか?
それは一人一人の幻想からです。と、私は思ってます。
こうなったら幸せ、こうじゃないから私は不幸、幸せのためにはこうでなければならない…そんな幻想を追っかけて不幸になったり、幸せになったりしている。
では幻想は消し去るべきなのか?
私はそうは思いません。そして、幸せの幻想を追えることが物凄く幸せなことだと思います。
「幻想に振り回される人生」から「幻想をコントロールする人生」へ。
視点を変えればいいのです。
幸せも不幸も悩みも、ほとんどが幻想。心が作り出した感情です。
日本にいれば衣食住はほぼほぼ保証されます。
日本に生まれたこと。それがまず最初の本当の本当のラッキーです。
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「そんなの惨めだ」。「それくらいなら死んだほうがマシだ」。なぜそう思うのでしょうか?
その理由も全部幻想です。
空が美しいと感じる。食べて美味しいと感じる。水が冷たいと感じる。
…
当たり前のことですが全て現実です。それを幸せと感じられるか否かは一人一人の感性の違いであり、それが感じられれば生きてるだけで幸せであるはずなのです。
「自分を許す」。「エゴを手放す」。
大人になるほどに、そのような必要は出てくると思います。
でも、簡単です。手放しちゃえばいいんです。
全部手放す必要ないです。余裕を感じられる程度に手放せば、
なんかもう、どーでもよくなってくるので
どーでもよくなったら、やりたいようにやればいいんです。
エゴや後悔の気持ちって、とても苦しくて重いです。
そんなの捨てちゃえばいいんです。半分くらい手放せば、主導権を自分自身に戻すことが可能です。
ある程度心が自分自身を取り戻して余裕を感じられるようになった上で、
体力や気力、野心があるなら、エゴを実現していくこともできるでしょう。
そう。野心的に競争社会で周囲も認める成功を求めるとしても、
幻想に振り回されるのではなく、幻想をコントロールする方が早いです。
幻想をコントロールするというのは、
「全部自分次第だ」ってことを芯から感じて実行することです。
これは理屈じゃないです。
今の心の状況を作るのは自分自身です。
もちろん、容姿や育ちなんかは変えようがありません。
でも、それについてどう思うかはその人次第。
「気にしなきゃいい」ではなく「気にするメリットがない」のです。
例えば容姿にコンプレックスがあって自分は幸せにはなれないと思っているなら、
幸せと容姿を紐づけてこだわってしまっている時点で余裕がまったくなく、
美人じゃない=不幸的な幻想に支配されている状況ってことですね。(なんか怖い響き、、)
だとしたら、フォーカスする部分を変えたらいいんです。
空が美しいと感じる。食べて美味しいと感じる。水が冷たいと感じる。…(さっきのコピペ)
などの目の前の日常にフォーカスして、
生きてることを実感して、生きてることに安心と豊かさを感じられるようになることが大切です。
「生きてるって幸せ」ってなってきたときに改めて容姿と向き合ってみると、気に入らないところじゃなくて、気に入るところが見えてくるはずなのです。いいところにフォーカスする習慣が身につけば、わざわざ否定のタネを探したりしなくなるのです。
逆にそれでも容姿が気に入らなければ簡単に整形しちゃうとか、整形を目的に生き生きお金を貯め始めたりするかもしれません。
ニュースで引きこもりから抜け出した人のお話を見て、
引きこもりから脱却するときに、引きこもりの自分を否定しないで、認めてあげることが引きこもりから抜け出すためには必要だ。
といった意味合いのことをおっしゃっていて、すごくリアルだと思いました。
「それでも全然いいんだよ」って自分自身を肯定してあげるところから変容は始まると思うのです。
どんな経歴でも、状況でも、育ちでも、見た目でも、何を望んでも「全然いいんです」。
あえて背負って生きたいなら自分を否定して罰を与える人生を選んでも、それも全然いいんです。
幸せを求めるなら、まずは手放して、こだわらないほどに余裕を取り戻すこと。
誰でもそれはできることだけれど、自力ではくじけそうになったり、混乱することもあると思います。そんなときは、リーディングやヒーリング、カウンセリングなんかを受けて客観的な意見や元気をもらうといいと思います。
◯◯しなきゃいけないっていうのは一切ないです。使命や宿命も自分で選んだもの以外、存在してないと思います。…私は思うだけですが。
運命はあると思ってますよ。私は星の通り生きてますから。でも、星の通り生きる必要はないんです。たまたま一緒だけど…。たまたまではないとも思ってます。ここは掘り下げると生まれる前とか魂の話になってきて話の領域が飛躍してしまうため追求せず。
まずは、自分自身を取り戻し、自分主体で生きる。それができてから運命とか宇宙とかの領域を扱わないといけないと思います。
だって私たちは今をここで生きてる肉体を持った人間だから。肉体は侮れません。ご先祖様あってのこの肉体で、形なき魂は人間意識とは全く別物です。肉体と結びついて初めて人間としての私=肉体とスピリットと魂が結びついての私なのだから。肉体をおろそかにしちゃいけないと思います。むしろほぼ肉体で生きてますもんね。これは私自身も肝に命じなければいけない部分です。
ご先祖があるから今の自分があるのに、ご先祖供養を放置して魂の問題に取り組むのは偏りがあると思います。
ご先祖供養の第一はこの命に感謝すること。そして現世をこの肉体で楽しみきることです。
結論。
あなたはそのままで全然いいんです。
生きているだけでそれで十分なのです。
これは子どもの頃から感じてて繰り返し伝えてきたメッセージでもあります。